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先日NHK番組「ブラタモリ」で埼玉県行田市が取り上げられました。その放映に先立ち7月2日(日)に磯博美担当幹事の先導により会員7名が行田市を訪れました。一行が訪ねたのは「さきたま古墳公園」(平面図右)で、地元ガイドの案内で丸墓山古墳、稲荷山古墳、将軍山古墳などを精力的に見て回りました。以下は、参加者から寄せられた感想です。
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石田三成の水攻めの際に作った石田堤を過ぎて丸墓山古墳の前で記念撮影。頂上は三成が陣を敷いた場所で遠くに忍城が見渡せる。猛暑の中、凉風が吹き抜け、古墳時代と戦国時代と足袋の陸王(ドラマ)の現代と各時代に思いを馳せることができました。(青木佳男)
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​丸墓山古墳前で記念撮影
梅雨の晴れ間というより梅雨明けを思わせるような暑い日でしたが磯リーダーの元総勢7名で「さきたま古墳公園」を訪れました。有名な古代蓮の開花時期と重なり、行田駅近くのバス停は長蛇の列。コロナ後の観光ブームは地方にも広がりつつあるのかなと肌で感じました。私はこの古墳公園を訪れるのは初めてでしたがガイドさん2人の詳細な説明で5、6世紀の古墳群とずっと先の戦国時代のこの地方の関わりなど興味深く聞かせていただきました。ガイドさんによると予算の関係で発掘が行われていない古墳もあり、まだまだ未知の古代へのロマン溢れる古墳群でした。(佐藤あけみ)
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​国宝の鉄剣が発見された稲荷山古墳に向かう一行
四年くらい前、個人的に来た時は、国宝「金象嵌された鉄剣」を見たい一心で古墳群をゆっくり散策する余裕はありませんでした。また古墳群が円墳、前方後円墳でできていることも知りませんでした。今回新たに認識したことは、当時、大王という呼称がすでに使われていたこと5世紀後半に大和王権の勢力が関東まで及んでいたこと。今回の歴史を訪ねる会に参加された方は「さきたま史跡博物館」で鉄剣に象嵌された115文字がなにを語っているのか資料をもらったとおもいますが、若干の補足をしますと、刀剣の冒頭に刻まれた辛亥年は西暦471年です。また、裏面に彫られた獲加多支歯は雄略天皇のことです。杖刀人とは刀を杖つ人のことで、武器を持つ武官のことと解釈されています。(諸岡 隆)
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ガイドの方から渡された地図を見て、狭い範囲の中に約10基の古墳が、集中していること、そしていずれも「富士山」の方を向いていることを知りました。実際に、古墳を見ると丘陵の緩やかな曲線、周りの壕や堤を形成する土地の凹凸など、見応えがありました。それから、「丸墓山古墳」と「稲荷山古墳」の古墳丘の上から眺めた景色は、階段の登リ降りのつらさ

丸墓山古墳の頂上は意外なことに木陰が。花見の名所

を吹き飛ばすような、素晴らしいものでした。最後に、「展示館」と「博物館」の資料も充実しており、とても参考になりました。古代の歴史を再認識させていただきました。(比企忠夫)

​丸墓山古墳の頂上は意外なことに
木陰が。花見の名所
国宝金錯銘鉄剣(鉄剣に刻まれた115の金文字)は見応えがあった。この時代にこのような鉄剣に金文字を刻めるとは、日本の歴史の深さに日本に生まれて育った事を誇りに思ったものである。暑かったが、丸墓山古墳から眺めた古墳群は平坦な行田の街を眺められ、映画「のぼうの城」を直ぐに思い出させる。後期高齢者の解説者の方が、懸命に解説をする若手の解説者を指導しながらの追加の解説が愉快であった。冷房の効いた博物館の館内で一息つき、将軍山古墳の石室の展示を見たが立派な展示物だった。行田は埼玉県名の発祥の地とか。駅前の店での生ビールが美味かった。(新井昭夫)
私は40年間も埼玉県民でしたが、同県内にあるこんな素晴らしい古墳を見たことがなかったことに、恥ずかしい気持ちになりました。しかし、今回古墳公園に来てみても、何故日本に複雑な前方後円墳が多数あるのか日本古代歴史の謎はなかなか解けません。前方後円墳は、そのプロファイルがそれぞれ独特で違って見えて、その曲線形状が面白いです。最後に見た「二子山古墳」(写真右)の優しい曲線美は、絶品です。(加瀬昌之)
蒸し暑い晴天下、ご参加いただきありがとうございました。当日が「古代蓮」の絶好の鑑賞時期であったことは全くの想定外で、博物館見学が計画通りに進められなかったのが、残念ではありましたが、古墳公園では、多少なりともいにしえのロマンに思いをはせる体験が出来たのではないか、と勝手ながら自己満足しております。(磯博美)
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