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    猛暑にも負けず歌三昧

                                           小岩寿樹

二度目の投稿になります。コロナのためになかなか皆様にお会いできなくて、残念に思っています。今回は、私の今年の夏と秋に参加したステージについて書かせて頂きます。

​ 私が、46才の時グリークラブOB会で歌い始めたのは、前回書かせて頂きました。現場から、管理部門に人事異動になり、ただでさえ家族からは「母子家庭」と揶揄されていた私には、家庭内に居る場所もなく、特に土日はどうすれば良いのかと途方に暮れる思いでした。そんな時、ある先輩から声を掛けられ、OB会での歌の世界に戻ることになりました。

​ 私の所属する早稲田大学グリークラブOB会では、隔年で「東京六大学OB合唱連盟」演奏会と「東西四大学(早・慶・関学・同志社)合唱連盟」演奏会に参加しています。今年は、「東西四連」の年で、コロナの影響により2年前には中止されたので、4年ぶりの開催となりました。今年の幹事校は関西学院で、7月30日に、お膝元の阪急線「西宮北口」駅の南口にある「兵庫県立芸術文化センター」大ホールで、コンサートが開催されました。当日駅を出ると、クマゼミのせみ時雨が降り注いでいました。東京では、クマゼミの鳴き声を聞くこともなく、久しぶりに聞いて、受験勉強で、てんぱっていた高校3年の夏休みを思い出しました。各校とも約100人ののど自慢が揃い、合同演奏には400人のむさくるしい親父が一つの舞台に立ち、男声合唱組曲「月光とピエロ」を歌いあげました。

​ 早稲田は、小林研一郎マエストロの指揮で、マーラーの「さすらう若人の歌」を演奏しました。勿論ドイツ語で暗譜です。大学時代にドイツ語は履修しましたが、もはや遠い昔のこと、発音すらきついのにそれを覚えるのは至難の技で、本番前一週間は、寝る時や食事の時、風呂に入る時もドイツ語が頭の周りをグルグル回っていました(笑)。演奏も上々の出来で、来場された方々の多くは普段から関西学院のファンで耳が肥えた人達ですが、早稲田にも「ブラボー」の掛け声や大きな拍手をしてくれました。

​ 関西からの帰りは、久しぶりの京都を満喫するはずでした。しかし、あまりの猛暑にばててしまって観光をすることもできず、京都駅前にある、私の手次寺の総本山「東本願寺」の畳敷きのお堂で、2時間ほどぼーっとしていました。最近あまり自分と向き合う機会もなく、場所がら神妙な気持ちになり「自分自身の来し方行く末」を考える貴重な時間となりました。

​ さて、帰京してみると、新たな企画が立ち上がっていました。元々は数年前のNHKの朝の連続ドラマの時期に合わせて「稲門祭」のアトラクションとして開催されるはずだった古関裕而作品のコンサートです。ご存知のように、古関さんは応援歌「紺碧の空」などで、早稲田とは縁の深い作曲家です。

​ 当日は、我々グリーOBの他、早混稲門会、応援部OB・OG吹奏楽団など、大隈講堂の舞台で、「古関裕而名曲集~永遠の応援歌~」を演奏しました。古関さんが作ったオリンピックマーチや軍歌など、あらゆるジャンルの曲が演奏されましたが、私たちのチームに割り振られた曲は「紺碧の空」「光る青雲」(ともに早稲田大学応援歌)「闘魂込めて」(読売巨人軍の球団歌)「六甲おろし」(阪神タイガースの球団歌)と、応援歌のオンパレード。私の郷里の名曲「長崎の鐘」は混声の方々が絶唱され、とても美しいハーモニーを披露されました。確かに、私たちのようなごっついメンバーでは、あのようなバラードは無理でしょうね?最後は、応援団の吹奏楽団も入って「栄冠は君に輝く」(全国高校野球大会歌)を歌いあげ、フィナーレとなりました。

​ 当日は聴きに来ていただいた校友の皆様も満足して帰られ、演者としては満足のいく結果となりました。

​ 驚きだったのは、来賓として来られていた古関裕而さんのご子息・古関正裕さんは早稲田大学の校友だったということです。

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現在は、12月の大宮レイボック小ホールでのミニオペレッタの練習中で、休んでいる暇はありません。5年前に次女が嫁ぎ、夫婦二人の生活となっていますが、週1日の仕事、週2~3回の合唱の練習と、「亭主元気で留守が良い」を地で行っています(笑)おかげさまで夫婦中も良好で、精神的にも健康で豊かな老後と言える生活です。舞台に立てなくなるまでは「歌三昧」の生活を続けることになりそうです。

    (商学部 1978年卒)

ステージの後、クラブ同期と大隈講堂前で記念撮影。左が筆者。
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