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                               青木 佳男

「青木さん 大腸はポリープがひとつありましたが問題ありませんでした」「ああ、そうでしたか」先生の発言に私はまあ、そうだろうなと思う。

「ただ、胃の方に問題がありまして・・・・」「えっ? 何かありましたか?」

先生が少し間をおいて「実は癌が見つかりました。それも悪性です。一般的に高齢者にできる癌ではなく、若者や女性に多い進行の早いものです」と言う。

 

「ええっ!」喉が渇いてきます。「本当ですか?」だって最近は体重も増加しているし、毎朝4キロメートルのウオーキングをし、週2回はジムに行き、月3回はゴルフに行っていて、何よりも食欲は旺盛で、自覚症状が全くないのです。

信じられない私に先生は画像を示し「これが癌です」と冷静に「お元気なだけにすぐに深達度の広がりと転移を検査しなければなりません。4日後検査しましょう」とおっしゃる。「早期癌か進行癌かの判別をし、内視鏡での剥離手術ができるか、3分の2切除するか判断します。いずれにしても青木さん、手術しなければなりませんよ」有無を言わせないきっぱりとした態度です。

 

がーん、洒落ではなく、そう言われて頭が真っ白になります。そして只只びっくりし、何てことだ、こんなことがあるのか、女房に何て言おうか・・・と考えながら4日後の検査を予約してとぼとぼと家に帰ります。

 

「どうだった?」いつも明るい女房が尋ねます。大腸は問題なかったのだけれど胃癌が見つかったことを努めて冷静に報告する。4日後に再検査しその結果により手術の方式が決まることも。

「えーっ、そうなの」しばし絶句の後、気を取り直し「よく見てもらうしかないよね。早期ならいいね。たぶん早期よね。」ショックを隠して、また自分に言い聞かせるように元気づけてくれます。

 

自覚症状もないのに何故病院で内視鏡検査を受けたのかと言いますと、和光市の健康診断で大腸が引っかかったのです。2日の検便法の1日分が問題となり、受診したクリニック院長が念のため内視鏡検査を受けた方が良いですねと病院へ紹介状をしたためてくれたのです。

病院に行くと大腸のほかにこれも念のため胃も見ておきましょうと胃カメラを勧められました。実は私はピロリ菌を10年前に除去しており、胃癌にはならないと勝手に思い込み、バリュームも苦手なため胃の検査はここ数年やっていませんでした。そうですね、しばらくやっていないから安心のため検査して頂きましょうと検査を受けることになったのです。

何という偶然でしょうか。大腸便検査はたぶん違う要因で1日分が陽性となり、念のため病院を紹介され、病院では念のため胃の検査も受けた結果癌が見つかったのでした。この偶然がなかったらどうなっていたかと思うと空恐ろしくなります。

 

さて超音波内視鏡とCT検査、血液検査の結果、悪性早期胃がんの診断が下りました。悪性で早期での発見は珍しいのか、この検査は病院(埼玉病院)の先生と慶応大学病院の先生2名で見て頂きました。内視鏡下粘膜下層剥離術でぎりぎり行けると判断され、3分の2切除しなくて済むことになりました。転移もなく気が半分楽になりました。すぐに入院、手術日が決まりましたが若干日が空きました。再検査までと手術までの時間はその間進行しないのか不安もありとても長く、長く感じられました。

 

手術は6時間を要しました。午後1時に始まり終わったのが7時。「終わりましたよ」と先生が言い、ぼうーとしていた私が時計を見ると7時、ほとんど寝ていたのですね。6時間同じ姿勢でいたとのことですが、認識は全くなく、また7センチ四方はぎ取ったものを見せてもらいましたが痛みは全然ありません。

しかしこれで安心というわけではなく退院するにはもう一つ関門があります。切除した組織の病理検査で内視鏡手術に適合していたかどうか検証する必要があり、不適合となれば切除の再手術です。結果まで1週間ほど待ちましたが適合の結果が出て10日間で退院となりました。

 

今回の入院を通じて感じたことは、ピロリ菌を除去したから癌にはならないなど勝手に思い込まないこと、病気でないことを証明しようと検査を受けてはいけないことです。今まではサラリーマンの習い性か何となくそんな気持ちで健診を受けていたような気がします。そして何か指摘があったら、億劫がらずに、先延ばしすることなく精密検査を受けるべきことです。

私は今回幸運にも偶然が重なって命拾い(たぶん)しました。お若い方も、元気な先輩、ご同輩、みなさまどうか健康にはお気をつけてください。年をとれば持病の百貨店になりがちですが、自慢にはなりません。小さなお店ぐらいにしておきましょう。みなさまは大丈夫と思いますが、こんなこともあるのよ、晴天の霹靂、私が胃癌だった話をさせて頂きました。(了)(1974年教育卒)

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