2017年1月28日
▲63号館ATLAS模型前で記念
▲51号館外観。高さ日本一だった?
1月28日(土)、「理工キャンパスツアー&2017年新年会」が開催されました。
参加者は以下の皆さんです。
【参加者】(22名、氏名音順・敬称略)
青柳仁士/安保正博/牛窪熙子/宇波信吾/江口達也/加瀬久美子/加瀬昌之
栗原三男/慶田昭/小森重紀(富士見)/笹平直敬/佐藤茂喜/首藤正博
鈴木早苗(家族)/鈴木晴紀/野木実/比企忠夫/兵頭賢二/松本武洋/ 松本豊二
渡邊智幸/銭 鴻震(上尾)
【現役学生】(6名、氏名音順・敬称略)
菊地崇矩(先進理工M1)/小林優人(文学1年)/鈴木雅士(早実3年)/
眞鍋将太(先進理工M1)/松澤悠(早唱、先進理工2年)/前田眸(社学3年)
1月28日(土)の16時から開催される和光稲門会の新年会に先立ち、15時から、西早稲田キャンパスのツアーが開催されました。このキャンパスは、昔の理工学部、即ち、2006年に再編された基幹理工学部と創造理工学部及び先進理工学部のキャンパスです。
当日15時、約20名強の参加者が中庭に集合しました。昔は、高田馬場か新大久保から歩いて通ったキャンパスですが、現在は、東京メトロ副都心線の西早稲田駅改札からエスカレータに乗って、明治通りに面する55号館に直接入ることができます。参加者には、ほぼ全学部の出身者がおり、80歳代の大先輩から現役学生まで幅広い年代に亘っています。
さあ、キャンパスツアーのスタートです。まずは、中庭西側の研究棟(55号館、65号館)です。この2つの建物は、私の在学中は、運動場とその周りにクラブやサークルの部屋が立ち並んでいた場所に建てられた建物です。当時のキャンパスは、建築学科の安東勝男先生が意匠設計を松井源吾先生が構造設計をされて、1965年に第二期工事が竣工したもので、当時は大久保キャンパスと呼ばれており、当時の学生は、理工学部のことを米国のマサチューセッツ工科大学(M.I.T.)を連想される西大久保工科大学(N.I.T.)と呼んだものです。この55号館と65号館及び後程見学する63号館は、当時のキャンパスと設計者が異なるため、外観の趣が異なります。
次に、中庭南側の講義棟(54、53、52号館)です。いずれも各階共に、直角三角形状の4室の講義室が建物中央にある菱形状のロビーで接続されています。講義室には、ロビー側の壁に黒板とその両脇に出入口があるため、外から中の状況が良く見えると共に、先生に見つからずに遅刻することはできません。また、これらの講義棟のみならず、西早稲田キャンパスの主な建物は全て、2階レベルで渡り廊下により繋がれているため、建物間の移動は非常に便利に行えます。
そして、中庭西側の51号館です。51号館は、西早稲田キャンパスの正門正面に位置する18階建てのシンボルタワーで、格子状の窓の縦横一つおきの四隅に斜材が配置されている点が特徴となっている。高さは65.24mで、竣工翌年に霞が関ビルができるまでの一時、日本一高い建物ではないかと言われた。因みに、私が在籍した建築学科は、55号館ができるまでは、10階と17階及び18階に入居していた。主要な校舎への連絡通路に繋がる51号館の2階西側には、学生ラウンジが設置されて、学生の溜まり場となっている。51号館の西側に位置する一連の建物は、実験棟(59号館、60号館、61号館、58号館)です。大学職員から、見学禁止と言われていましたが、59号館2階から中に入って覗いてみると、多分、機械工学科のものと思われる大型の実験機器類が並んでいて、理工系のキャンパスであることが実感できる。
59号館2階の連絡通路を西側に歩いて63号館2階に入る。63号館は、最も新しい大規模な建物で、2階には、複数の大規模セミナールーム、1階には、情報ギャラリーと大きなカフェテリアがある。情報ギャラリーには、早大理工の代表的な研究成果である人型ロボットが展示され、カフェテリアでは、多数の学生で賑わっていた。昔は、テニスコートがあった場所で、硬式テニスの授業を受けたのを思い出される。
63号館北側の通路を経由して51号館北側を進み、57号館に向かう。57号館は、1階には、機械工学科や建築学科等が使う製図室、2階には、講演会や論文発表等が行われる大規模な階段教室、そして、地階には、今も昔も学生の溜まり場である生協の書店や売店がある。昔、私が常連だった喫茶店は、63号館ができた今はない。
56号館は、1階には、講義室があり、2階から上は、確か、物理や化学等の実験室があったと思う。地階は、昔からある学生食堂(今の呼び名はカフェテリア)がある。現在は、留学生も多いため、所謂、定食や麺類の他、いろいろな国の料理が食べられるそうである。
私は、卒業後33年となる2012年から約3年間、招聘研究員として、母校に通いましたが、朝一番の時間は、西早稲田駅から55号館に繋がるエスカレータは、通勤ラッシュのような賑わいであることと女子学生が多いことには驚かされました。そして、築後約50年となる初期の校舎が全て現存しているのに安堵致しました。これは、安東勝男先生のマスタープランが素晴らしく、適切な維持保全が行われてきたためではないと思います。
この度は、和光稲門会の皆様、縁あって参加させて頂いた家内と息子ほかと共に、改めてわが母校を一回りして、昔を振返り、現在と将来を思い、大変有意義な一時を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。
【文・鈴木晴紀/理工79年卒】