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2011年9月10日

 9月10日(土曜)、「第1回和光の歴史を訪ねる会」が実施されました。二部構成で行われ、第一部は「川越街道を歩く」、第二部は「うけら庵にて文化の集い」です。

 参加者は以下のみなさんです(氏名音順)。

【第一部】渥実/安保/石井/加瀬(久)/加瀬(昌)/上川/栗原/
     黒澤/慶田/佐藤/柴崎/鈴木(晴)/背黒/本田/松山

【第二部】渥実/安保/石井/牛窪/加瀬(久)/加瀬(昌)/上川/
     黒澤/慶田/佐藤/鈴木(勲)/背黒/本田/松山

【第一部】川越街道を歩く 

 第一部は、わが街和光の多彩な歴史スポットを行く「川越街道を歩く」。当日は午後2時30分、熊野神社に集合。残暑の日差しが容赦なく照りつけるなか、白子コミセン(コミュニティセンター)からスタート。ここは、かつて白子村の村役場があったところです。

 案内してくれたのは、NPO法人「和光・文化を育む会」副会長の鍵和田美津子さんと、同会顧問の副島元子さん。ボランティアでガイドを務めてくださいました。

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白子コミセン展示室でガイドの鍵和田さんの説明に聞き入る参加者
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展示室の写真に会員が映っていました。「これ、俺だ」
 白子コミセン館内には、日本を代表する童謡詩人であり、『叱られて』『雀の学校』などの歌で有名な清水かつら(1898-1951)、また、同じく日本を代表する児童文学作家で、『チョコレート戦争』などの作品で有名な早大文学部卒の大石真(1925-1990)に関する資料が数多く展示されています。清水かつらは1923年、関東大震災で被災し、母の実家のある新倉村(現和光市下新倉)に身を寄せました。その後、白子村(現和光市白子)に移り住み、以降、1951年に世を去るまでの約30年、和光市ですごしました。大石真は1925年、白子村に生まれ、その後、30年余りを和光市ですごしました。

 和光市ゆかりの文人たち。今回の「訪ねる会」に参加して初めて、その存在を知った会員もいたようです。文人たちの在りし日の写真のなかに、「これ、俺だ」と一緒に写る自身の姿を発見した参加者も。
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ガイドの副島さんに率いられ大坂(白子坂)を行く参加者 
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清龍寺不動院の前でガイドの副島元子さんが説明
 白子コミセンを出て、熊野神社の裏手にある神瀧院清龍寺不動院へ。徳川家康を祀るこの寺は、豊かな湧き水が流れ落ちる「不動の瀧」で有名です。明治時代の軍人・乃木希典や、同じく明治時代に首相や陸軍大臣を務めた桂太郎も、この滝に打たれたとか。1877年(明治10年)には、この熊野神社境内に国営の白子養魚場が設置されたといいますから、いかにその湧き水が豊富だったか、想像できます。次回の「訪ねる会」では、だれか滝行に挑んでみては?
 一行はその後、川越街道へ。清水かつらの名曲『靴がなる』の歌詞を刻んだ白子橋から大坂(白子坂)を上ります。このあたりは江戸時代に白子宿で栄えた一帯。大坂は当時、急坂かつ断崖で、川越街道屈指の難所でした。もちろんいまは整備されていますが、この日は強烈な日差しのもと、どこまでもつづく上り坂に参加者はバテ気味。坂の途中に流れる冷たく澄んだ湧き水を灼かれた肌にあてながら「難所」を越えました。
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大坂の途中には澄んだ湧き水が 
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「大坂ふれあいの森」の前で
 大坂を登りきると、諏訪神社。そして今度はくらやみ坂をゆるやかに下っていきます。坂の下には代官屋敷。江戸時代、下新倉は旗本酒井氏の知行地でしたが、そこに置かれた代官が暮らしていた屋敷です。代官を務めたのは柳下家で、いまも表札は「柳下」です。
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こんな細いところを入っていきます
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これが「浅久保の富士塚」
 さらに足をのばし、浅久保の富士塚へ。富士塚というのは江戸時代、富士山に登拝できない庶民のために、富士山を模して造られた人工の小山のこと。富士山信仰は当時の庶民文化のひとつでした。和光市の富士塚は熊野神社のそれが有名で、この浅久保の富士塚は「知られざる歴史スポット」だとか。細い道を抜け、赤い鳥居をくぐると、小高い山が現れました。ここでみんなで記念撮影。
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左端が副島さん、右端が鍵和田さん
 熊野神社から浅久保の富士塚まで、歩くことおよそ2時間半。わが街和光市の歴史にふれた散策でした。それにしても暑かった…。

【第二部】うけら庵にて文化の集い 

 散策のあとは、会場を「うけら庵」(本町16-28)に移して「文化の集い」です。

 このうけら庵、江戸時代に文人墨客が集う文化交流の場として栄えました。私たち和光稲門会も、いにしえの文人たちにならい、きょうの散策をふり返りながら俳句を詠んでみよう、という企画です。

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第二部会場「うけら庵」に集まる参加者
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まずは鈴木会長がうけら庵の歴史などを紹介

  まず鈴木勲二会長から、うけら庵の歴史、そしてうけら庵を詠んだ万葉和歌の紹介があり、そのあと、俳句づくりに挑戦しました。

 「俳句なんて詠んだことないよ…」「うまくできるかなあ…」

 ちょっと不安そうな表情の参加者に、やさしく手ほどきしてくださったのは、加藤辰夫先生。「句友俳句会」の主宰を務め、俳号は「加藤三辰」です。鈴木会長の教え子でもあります。

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講師を務めてくださった加藤三辰先生。参加者の詠んだ句をその場で添削してくださいました
 俳句の歴史と変遷、俳句の基礎知識、そして詠み方など、わかりやすく解説してくださいました。
参加者は、配られた一筆便箋を前に呻吟。たくさんの名句(迷句?)が生まれました。

稲門の 話のはずむ 夜長かな        勲二

そよ風に 揺れるススキや うけら庵     勲二

ノラクロを 知る少年の 敬老の日      勲二

敬老の日や 望郷思い 眼鏡拭く       勲二

うけら庵 今日はおいらが 文人か      茂喜

歩きつつ 初秋と云えど 秋暑し       茂喜

同窓の 世代揃ひて うけら道        あきら

うけら庵 日暮らしの声 浸み渡る      あきら

富士塚の さきに見すえる 秋の富士     友博

稲門や うけらの庵に 若うあれ       友博

大坂の 暗闇怖し 秋の暮          昭

月は出ぬ 探しあぐねて うけら花      昭

月うかぶ 富士塚に訪ふ 白子宿       昭

「靴が鳴る」 初めて知るや 「かつら」かな 由理子

白子宿 馬も疲れる 秋の坂         由理子

白子川 思いの外に 澄んでいる       由理子

 十六夜の 月影さやか 白子橋       俊雄

 暗やみの 坂を登れば 長屋門       俊雄

 総理の座 射とめてうれし 秋どじょう   俊雄

 軽口で  気前よく捨てん 大臣の椅子   俊雄

 十五夜に 集いてあそぶ 稲門達      久美子

 白子川 水面にうつる 鱗雲        丈和 

 朧げに くらやみ坂を 照らす月      丈和

 白子坂 忍者飛び交う 蝉の宿       昌之

 大坂に 吹く秋風や 深呼吸        文宏

 梅雨明けて 紺碧の空 目に眩し      空見鳥(渥美)

 梅雨明けて 迫り来る雲 大津波      空見鳥

 海原に 舞い立ち上がる 入道雲      空見鳥

 花火終え 団扇持つ群れ 帰途につく    空見鳥

 炎天下 あがる歓声 プ-ルから      空見鳥

 ラッシュ時は 顔だけでも欲しい 扇子風  空見鳥

 ベランダの 植木の中より 蝉しぐれ    空見鳥

 「おっ、これはいいなあ」「う~ん、これはもうちょっとかな」

 加藤先生は、参加者が詠んだ句をその場で添削。「必ずしも見たとおりに詠む必要はないんです。創作を交えて」とアドバイス。楽しい句会は1時間ほどつづきました。以下は、加藤三辰先生の作品です。 

 稲門の 話のはずむ 夜長かな

 「しかられて」 ピアノ漏れ来る 星月夜 

 カンツォーネ 聞きてい出れば 望の月 

 富士塚に 登れば高し 秋の天 

「都の西北」 歌う健児や 秋の天

 俳句を楽しんだあとは、うけら庵のすぐそばにあるフレンチレストラン「クロシェットドウ ボワ」で懇親会。ピアノの生演奏やミニコンサートもある、おしゃれな雰囲気のお店です。おいしい料理とお酒を楽しみながら会話に花が咲き、参加者全員で校歌を合唱。秋の夜、和光の街に「都の西北」が響きました。
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懇親会会場のフレンチレストラン「クロシェット ドゥ ボワ」
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今回の「訪ねる会」を企画した慶田昭幹事の音頭で「乾杯!」
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おいしい料理においしいお酒。笑顔と会話で大いに盛り上がりました
 最後に、ガイドを務めてくださった鍵和田美津子様、副島元子様、そして加藤辰夫先生、本当にありがとうございました。
【文:背黒文宏/政経90年卒】
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