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2016年12月17日
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▲護国寺山門前で記念撮影
 12月17日(土)、「歴史を訪ねる会in池袋&2016年忘年会」が開催されました。参加者は以下の皆さんです。 
【参加者】(13名、氏名音順・敬称略) 
牛窪熙子*1/宇波信吾*2/加瀬久美子*1/加瀬昌之/上川巌*2
栗原三男*2/笹平直敬/佐藤あけみ/佐藤茂喜*2/比企忠夫/
久田辰夫*2/兵頭賢二*1/野木実*2/
*1午後から参加  *2忘年会のみ参加
すでに和光稲門会ならではの「名物行事」となっている「歴史を訪ねる会」。今回の探訪場所は、池袋・護国寺・雑司ヶ谷方面。特に池袋は学生時代から今日に至るまで買い物などで慣れ親しんでいる街であり、この街がどのような歴史を辿ってきたのか、参加する前から興味津々でした。
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 12月17日(土)当日。朝から参加する
のは4名(佐藤あけみ、加瀬昌之、比企、
笹平。敬称略、以降も同様)の「少数精鋭
(?)」。幸い天候にも恵まれ、今は由来
碑のみが残る元池袋史跡公園(かつてこの
地に湧水池があり、安倍晋三首相の母校・
成蹊学園発祥の地)というややマニアック
な史跡からスタート。ガイドは今回も勿論、この道のエキスパートである比企忠夫氏で
す(写真右)。

 池袋西口公園から西口と東口を結ぶウイロードを抜け、「四面塔尊」へ。これは享保6年、池袋村で一晩に17人が“辻斬り”で犠牲になるという大惨事が起き、犠牲者を供養するために建てられたというミステリースポットの1つ。普段は近くにP’パルコなるファッションビルで多くの若者が行き交う場所だけに、改めて歴史の奥深さを感じました。また比企会員が持参した、戦後の闇市、路面電車、飲み屋街等が写った池袋駅前東口周辺の古写真と現在の街並みを見比べ、しみじみ隔世の感を感じたのでした。

 昼食を済ませ、護国寺駅で会員3名(牛窪、加瀬久美子、兵頭)と合流し、「午後の部」は護国寺からスタート。勿論、我々早稲田大学校友が真っ先に向かうべきは大隈重信公の墓所。さすがに早稲田大学創設者にふさわしい、風格のある立派な墓所であり、一同参拝。その他、山県有朋、三条実美らの墓所も見学しました。まさにかつての日本のエスタブリッシュ達が多く眠る荘厳な墓地という印象を受けました。

 その後、雑司ヶ谷エリアに移行し、雑司ヶ谷旧宣教師館から雑司ヶ谷霊園へ。この霊園も案内図を見ると、歴史上の著名人物、文豪、文化人、芸能人などの墓所が多数あることがわかります。

 次はガラっと趣きが変わり、平成27年5月に生まれ変わった豊島区役所(としまエコミューゼタウン)に。ここは「くやくしょん(区役所+マンション)」という言葉をはやらせた画期的な建物で、区役所を建て替えるのに、上に分譲マンションを作ってしまうことで、区役所自体の建築費負担はないという、すごいスキームの事業により建てられたものです。49階建、総戸数432戸。外観デザインが著名建築家・隈研吾。総事業費は住戸販売の収入などでまかない、区の一般財源からの支出はゼロだといいます。庁舎には企業や民間商業施設も併設されています。エレベーターで10階に上り、屋上庭園「豊島の森」からの眺望は、富士山も見渡すことができ、まさに絶景です。

 いよいよラストは鬼子母神エリアへ(正しくは「鬼」のアタマの「´(テン)」は無いのですが、パソコン変換に無いのでご容赦!)。最近、このエリアも「まち歩き」ブームのためか、土日になると大勢の人々で賑わっています。大鳥神社を経て法明寺・鬼子母神堂(きしもじんどう)へ。インドの邪神が釈迦によって改心し、安産と子育ての神となったと言い伝えのある鬼子母神。ちなみに鬼子母神で行われる豆まきは「福は内」の掛け声のみで、「鬼は外」の掛け声は禁止とのことです。

 その後、副都心線雑司ヶ谷駅から和光市へ戻り、午後5時から和光市南口の居酒屋で忘年会がスタート。総勢14名の会員が参加し、大いに飲み、食べ、話し、盛会のうちに終了したのでした。

 最後に余談的なお話を。実は私は学生時代2年間、護国寺のすぐそばに住んでいました。また、学生時代からの付き合いである妻は、鬼子母神のすぐそばの大学に通っており、まさに今回の池袋・護国寺・雑司ヶ谷・鬼子母神エリアのまち歩きは、私自身の「青春プレイバック散歩」でもありました。しかし、かつて慣れ親しんだエリアとはいえ、それらにまつわる歴史は殆ど初耳であり、いつもながら綿密な事前リサーチとわかりやすい語り口でガイドを務めていただいた比企さんには、この場を借りて、改めて御礼申し上げます。

                           

【文:笹平直敬/政経87年卒】
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