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2012年4月14日
壹鑑寺の「四季の間」で記念撮影
4月16日(土曜)、「第2回和光の歴史を訪ねる会」を開催しました。
第1回の「訪ねる会」(昨年9月)では川越街道を歩きましたが、今回は新倉の午王山(ごぼうやま)周辺を散策。志木稲門会会長の一ノ倉達也会長も参加してくださいました。
【参加者】(氏名音順)
渥実、新井、石川、一ノ倉(志木稲門会会長)、加瀬(久)、加瀬(昌)、上川、栗原、慶田、笹平、佐藤(茂)、柴崎、鈴木(勲)、背黒、比企、
久田、兵頭、松山、森山。
天気はあいにくの雨。和光市駅北口に13時に集合し、バスで「新倉坂下」へ。到着後、バス停から少し先の「午王山通り」に入り、午王山へとのぼっていきます。
雨の午王山を行く参加者のみなさん
最初にみたのは、午王山遺跡。現地を案内してくださったのは、和光市教育委員会生涯学習課の鈴木一郎さん。雨のなか、遺跡についてくわしく説明してくださいました。また、前回の「歴史を訪ねる会」でもお世話になった、NPO法人「和光・文化を育む会」顧問の副島元子も同行して下さいました。
この午王山遺跡、旧石器時代から中世までの遺跡が見つかっており、弥生時代の環濠集落(周囲に濠をめぐらせた集落)として知られる和光市を代表する遺跡とのこと。「環濠のある遺跡はめずらしいんですよ」と鈴木さん。ちなみに和光市には43も遺跡があるそうです。
午王山遺跡
雨のなか案内してくださった鈴木一郎さん
また午王山には、かつて朝鮮半島にあった新羅(356~935年)の王子がこの地にやって来て住んでいたという言い伝えがありますが、これまでの発掘調査では、その証拠はみつかっていないとのことです。
「こんな遺跡があるなんて、知らなかったなあ」
「和光に何十年も住んでるのにね」
午王山特別緑地保全地区
遺跡からさらに足をのばして、午王山特別緑地保全地区へ。ここは、地域団体「新倉午王山の会」がボランティアでその環境保全に取り組んでいる一角です。同会の副会長を務めているのが、和光稲門会会員で今回の参加者の一人、石川英俊さん。この日の「訪ねる会」を企画してくれました。現場を案内しながら。「お天気だったら気持ちいいんだがねえ…」と残念そう。
午王山を降り、長照寺(新倉2916)の大いちょうを見学。幹まわり7.5m、樹高29m、樹齢推定700年という県下有数の大木です。
さらに足をのばし、次の目的地は壹鑑寺(いっかんじ。下新倉4丁目)です。
副島さんに本堂でお寺の歴史をうかがったあと、「四季の間」へ。美しい襖絵に目を奪われます。柳と桜(春)、菖蒲と蓮(夏)、紅葉(秋)、そして寒牡丹と寒梅(冬)。浦和市在住の伊澤正男氏の手による作品で、製作に3年、完成は96年10月です。
さらに見上げると、広間の入口の上に「寒山(かんざん)と拾得(じっとく)」の絵が。唐の時代の人物で、世俗を離れた詩人です。副島さんはこう解説されました。
「寒山と拾得は、この広間に入るすべての人の心を見抜きといわれます。私たちもこの四季の間で、静かに自分自身をみつめ直してみよう、という思いがこめられています」
寒山と拾得に見守られながら、あたたかいお茶と、壹鑑寺の寺紋の入ったおいしいお菓子をいただきました。
「四季の間」の襖絵。「春」をあらわす柳と桜
「秋」をあらわす紅葉
「夏」をあらわす菖蒲と蓮
「冬」をあらわす寒牡丹と寒梅
広間の入り口で見守る寒山と拾得
散策のあとは、懇親会会場の「ふじ家」へ。手打ちそばのおいしいお店です。懇親会は石川さんが乾杯の音頭をとり、その後、鈴木勲二会長から和光市の歴史について簡単な説明がありました。
お酒と会話を楽しみ、手打ちそばに舌鼓を打つ。途中、志木稲門会の一ノ倉会長がご挨拶をされました。「もっとたくさんの稲門会会員に行事に参加してもらうにはどうしたらいいか、頭を悩ませています」といったお話も。
志木稲門会の一ノ倉会長
時間は楽しくすぎ、シメはもちろん、母校の校歌。安保友博幹事の指揮で「都の西北」を合唱しました。最後は、鈴木会長が「フレー、フレー、早稲田、フレー、フレー、和光」と元気にエールを切り、懇親会は終了しました。
「都の西北」を合唱する参加者のみなさん
鈴木会長(左から2人目)が高らかにエール
最後に、ガイドを務めてくださった鈴木一郎様、副島元子様、本当にありがとうございました。
【文:背黒文宏/政経90年卒】
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